このところ,時ならぬ雨が,ずっと続いている.
一昨日,詩を1片,書いた.
「恋」をしなくても,詩が書けるようになったのは,おおきな進歩だろう.
はじめに,キー・ワードがやって来る.そこですぐに書かないで,キー・ワードを頭のなかで泳がせながら,待つ.1~2週間待っていると,やがて,キー・ワードを核にして,言葉が結晶し始める.この状態になれば,もうしめたもので,少しイメージを膨らませると,第1連が出来上がる.
私の場合,第1連の次は第2連,と,シーケンシャルに書くことしかできない.頭のなかで起きる,言葉の核爆発を,シャープペンシルでメモ帳に書き留める.爆発を書き留め,爆発を書き留め,しているうちに,最後の飛躍がやって来て,最終連となる.
メモ帳2ページ分が,1作が出来上がる丁度ひと息である.そのような訳で,私が書くものは,いつも同じ長さなのだ.それより短すぎると,只の言葉の切れ端になってしまい,長すぎると,今度は緊張感のない,だらだらとした言葉の羅列になってしまう.
同じくメモ帳2ページが,私が詩語を働かせられる限界である.私は詩語を多用するが,それは,私が,美しいものに憧れ,自分の書くものも,美しく仕立て上げたいからなのである.
弁解する訳ではないが,無闇矢鱈と詩語を連ねているのではない.上記の核爆発を,最も効果的に装飾する,そのために,詩語を用いる.一見,手垢にまみれた,陳腐な詩語でも,使いようによっては,全く新しい面をみせて,輝き始めるものがあるのである.
また,私は,「読者」のことを考えてはいない.私にとって,ただひとりの読者,それは私である.書き留めた「天の声」を,誰も評価してくれなくとも,私が納得できる完成度の高さを超えていれば,それは,私にとって,美しい1片の詩なのである.
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