2008年9月30日火曜日

詩語について

 私の詩には「詩語」が多いとよく言われる.私自身も意識して詩語を多用しているので,この指摘は間違いではない.

 では,何故,詩語を多用するのか?

 私は,美しいものが,つくりたいのである(「新しいもの」ではない.).

 かといって,手垢のついた詩語を,自分の詩のなかに,やたらに放り込んでいる訳ではない.それひとつだけでは手垢にまみれた,使い古された詩語でも,他の言葉と組み合わせたり,コンテクストから微妙にずらしたりすると,新鮮な光を放ち始めることがあるのである.

 最近では,逆に開き直って,詩語だらけの詩を立て続けに書いている.

 美しいものに,私は憧れる.

2008年9月29日月曜日

エクリチュール

 このところ,時ならぬ雨が,ずっと続いている.

 一昨日,詩を1片,書いた.

「恋」をしなくても,詩が書けるようになったのは,おおきな進歩だろう.

 はじめに,キー・ワードがやって来る.そこですぐに書かないで,キー・ワードを頭のなかで泳がせながら,待つ.1~2週間待っていると,やがて,キー・ワードを核にして,言葉が結晶し始める.この状態になれば,もうしめたもので,少しイメージを膨らませると,第1連が出来上がる.

 私の場合,第1連の次は第2連,と,シーケンシャルに書くことしかできない.頭のなかで起きる,言葉の核爆発を,シャープペンシルでメモ帳に書き留める.爆発を書き留め,爆発を書き留め,しているうちに,最後の飛躍がやって来て,最終連となる.

 メモ帳2ページ分が,1作が出来上がる丁度ひと息である.そのような訳で,私が書くものは,いつも同じ長さなのだ.それより短すぎると,只の言葉の切れ端になってしまい,長すぎると,今度は緊張感のない,だらだらとした言葉の羅列になってしまう.

 同じくメモ帳2ページが,私が詩語を働かせられる限界である.私は詩語を多用するが,それは,私が,美しいものに憧れ,自分の書くものも,美しく仕立て上げたいからなのである.

 弁解する訳ではないが,無闇矢鱈と詩語を連ねているのではない.上記の核爆発を,最も効果的に装飾する,そのために,詩語を用いる.一見,手垢にまみれた,陳腐な詩語でも,使いようによっては,全く新しい面をみせて,輝き始めるものがあるのである.

 また,私は,「読者」のことを考えてはいない.私にとって,ただひとりの読者,それは私である.書き留めた「天の声」を,誰も評価してくれなくとも,私が納得できる完成度の高さを超えていれば,それは,私にとって,美しい1片の詩なのである.

2008年9月28日日曜日

準備

 7:00、半覚半睡の状態で、駅前のネットカフェへ。VIP席がひとつだけ空いていたので転がり込む。「じゃがりこ」150円也をばりぼりと齧っているとようやく頭が回りだす。

 朝日新聞朝刊はまだ読めない。先日読了した『脱オタクファッションガイド』(オーム社)のあとがきなどを読んで過ごす。『脱オタク~』を読んでいると、私はほんとうにオタクなのだとつくづくと思う。性格は直せないので、せめて身なりだけでもこざっぱりと整えたい。これから礼拝なので、こころの準備も欠かせない。

 久しぶりの教訓:早起きをすると、ささやかな準備がいくつか出来る。この「ささやかな準備」が、案外非常にだいじだったりする。

2008年9月26日金曜日

読書 その後

 いつも,12:00になるのを狂おしく待ちながら,仕事をしている振りをしている.12:00は,私の職場では,昼休みが始まる時間である.

 12:00になると,仕事をしている振りをやめ,仕出し弁当を貪り食い,洗面し,薬を飲んで,漸く読書の時間がやってくる.

 職場では,詩集は読まない.詩集が読めるほどに,職場では集中できないからである.この頃読むのは,もっぱら,先に述べたICT関係の,文系SE向けのエッセイである.

 随筆は,読めない.私の場合,芸術的散文は全滅である.この理由も,先に述べたとおりである.(また,芸術的散文は息が長く,30分では,一区切りするところまで,とても読むことが出来ない.)

 30分をフルに読書に当てるには,ICTについての,文化系SE向けのエッセイが,まさにぴったりなのである.

 コンピュータが,もともと好きだ,と言うこともある.10年ほど前までは,理科系SE向けの,プログラミング入門を買い漁ったこともあったが,技術だけ覚えても,それを使う機会がないと,技術は身につかないと言うことがよく分かった.40代に入り,詩を書いていこうと,改めて襟を正し,読書についても,もっぱら,概説書をターゲットにすることにした次第である.

 10年前,20年前と比べ,最近の概説書は,レイアウトも格段に良くなっている.読みやすくなっているのである.また,パーソナル・コンピュータの普及により,概説書も,様々なテーマを持つこととなった.多様化したニーズに合わせ,色とりどりのテーマが,選び放題(とまではいかないか?)なのである.

 私にとっては,この上なく嬉しい環境が出来上がった(少しは詩の勉強もした方がいいのかも知れないが,特別に勉強をしなくとも,書くだけなら,詩は書けているので大丈夫だろう.).

無能

 職場での私は,あまりにも無能である.

 非常勤の方でも出来る簡単きわまりない作業でさえ,出来ない.

 公務員の世界では,3年で異動になる.3年間は,おなじポストに就いていることになる.従って,どのポストでの業務も,誰にでも出来るものなのである.ある,のであるが……,私には出来ない.何故だろう?

 周囲からは,「やる気がない」と思われているようだ.確かに,私は,地味な,根気の要る仕事には,向いていないのかも知れない.向いていなくとも,生活のためには働かなければならない.今の職を失ったら,明日食べるパンさえ,買うことが出来なくなってしまう.

 しかし,どう努力しても,仕事が出来ない.

 詩作,などという,限られたものだけに許された,極めて高度な創造性を要求される作業なら,何の努力もしなくとも,簡単に,いくらでも出来るのに.

 あまりにも不愉快なので,年金がもらえる時点,すなわち50歳まで勤めたら,転職しようと考えている.それまでに,今ある才能で食べていける職を,探しておかなければならないのだけれど.

2008年9月25日木曜日

読書

 このところ,やたらに本を読んでいる.主に,文化系向けの,ICT 概説エッセイのようなものである.

 今はちょうど,Google について書かれたものに,取り組んでいる.

 上記のような本であれば,いくらでも頭に入ってくる.私は,職場では,文系SEの出来損ないのようなことをしているのであるが,そういった本を日頃から読んでいると,役立つことも多い(仕事に役立てよう,等と,不純な動機で読んでいるのでは決してない.面白い,から読んでいる.それだけである.).

 私の場合,「詩の頭」を守るには,コンピュータやICTの概説などを読むに限る.小説はいけない.散文を読むと,「詩の頭」は,途端に狂ってくる.「詩のための言葉」が,散文に汚染されるのである.

 少々大げさかも知れないが,事実なのだから仕方がない.電車の中などで,小説らしきものを読んでいるひとをよく見かけるが,「よく散文が読めるものだ」と,感心することしきりである(その逆に,皆が通勤の途中で詩など読んでいたら,そちらの方が不気味かも知れないが.).

 詩集はよく読む.「詩の頭」なので,優れた詩集は,頭の糧になる.今,財部鳥子さんの『胡桃を割る人』を読んでいるが,啓発されること大である.

 詩と小説とは,言葉という,同じ材料を用いて作られているが,全くの別物である.小説を読むノリで詩に取り組むと,必ずひどい目に遭う.詩は比喩であり,小説は説明であるからである.

 とは言うものの,やはり詩がいつまでもマイノリティであるのも寂しい.詩が,広く人口に膾炙するものとなって欲しいのであるが,今のまま,「詩を読む人=詩を書く人」として,詩壇にひっそりと隠れ住んでいるのがいいのかも知れない.

2008年9月24日水曜日

私淑

 林浩平さんより,メイルの返信あり.

 私が野村喜和夫さんととても親しくなっていることに,たいへん驚かれておられた.

 確かに私のエクリチュールと野村さんのそれとは,一見非常に異なったものであるが,例えば皆さんのご両親のことを想起して頂きたい.「この二人が,どうして一緒になったのか?」と言った疑問を抱かれたことはないだろうか.野村さんが私と懇意にしてくださるのは,詩における共通点があった,等と言うことではなく(同じ仏文出身という共通項はあるものの(しかしこれはとても重要な共通項だ.)),私が書いたものだけをご覧になった野村さんが,ひとりでどこへも顔を出さず,自分の部屋に引きこもり,燻っていた私を,陽の当たるところへ,導き出してくださったのである.

 以後,「こちらは野村リュウさんです.」と言うような紹介のされ方をした時期はあったものの,同じ文学を愛するものとして,最終的に性格の周波数が一致した,と言うのが,実際のところである.

 幾らお互いに共通項があったとしても,性格が合わなければ,親しくはなれない.私に足りないものを野村さんが補ってくださり,野村さんが Mac を使っていて窮地に陥ったとき,解決法を私がお勧めしたりするうちに,ウェルギリウスとダンテのように,次第に打ち解けていった,と言うのが本当のところ,としか言いようがない.

 正直なところ,いつから今のような関係になったのか,私にもよく分からない.野村さんはたいそうナイーブな方なので,親しくなるにはかなりの努力が必要だったはずなのだが,私の方から「合わせた」記憶はない.ただ,ひたすらに,出来る限りの誠意は尽くしたつもりである.

 それにしても,林さんが驚愕されたのであるから,野村Aと野村Bとは,余程想像を絶した組み合わせであるのに違いない.

2008年9月22日月曜日

秩父

 野村喜和夫さんの朗読会が,秩父で催された.

 秩父へ着くまでの80分,渡辺めぐみさんと3人で,色々と話すことが出来た.

 会場は,かつてのぽえむ・ぱろうるのようなポエム・カフェ.野村さんの詩集が展示・販売されているなかに『わがリゾート』があるのを見付け,迷わず購入する.こういうこともあるのである.

 これで,野村さんが刊行された書籍のうち,手元にないのは第1詩集『川萎え』のみとなった.

 職場を離れると,正直言ってほっとする.私のもう一つの側面,「詩を書いたことがある者」を表面に現して振る舞えるからである.職場での私には「無能」のレッテルが貼られているが,こちらの私は,どういう訳か,非常に冴えて優秀だ.これはまあ,詩と生活とを切り分ける道を選んだ者の宿命であるので,不平は言わない.そのうち何か賞でも取れば,職場での見方も変わるかも知れない(いや,多分無視されるだろう).

 いずれにせよ,ハレの日があるのは,精神衛生上,とてもよいことである.

 ところで,私の第2詩集の栞を書いてくださった林浩平さんは,なんと東大法学部出身だと耳にした.ほんとうだろうか? 全く存じ上げなかっただけに,驚きもおおきい.

2008年9月20日土曜日

オタク

 私は「オタク」だろうか。

 アニメーションなどには特に興味もないし、漫画をよむことも最近はしない。

 それでも、41歳の私は、ほとんど私服で通勤していることを考えると、周囲と融合していない、という点で、オタクだろう(広い意味で)。アップルのオンラインストアで購入したバックパックには MacBook Pro と『 Mac People 』の最新号が入っている。かと言って、プログラミングやハッキングが出来るわけでもなく、もっぱら、メモ帳で完成させた詩を清書する程度である。ICT に関しては、それなりの知識の蓄積がある。強いて分類するならば、私は『コンピュータ・オタク』なのだろう。それから、少しばかりの詩を書く、「現代詩オタク」でもあると思う。

40歳を過ぎても結婚していない。都内の交通の要所に立っているマンションに、猫と一緒に暮らしている。自分の部屋には、Mac 関係のジャンク品が散らばり、壁はすべて書架なのだけれど、まったく整理されていない。即ち、家財道具は Mac が2台と、書架のみである。電気ポットすらない。これでは、「オタク」と言うより、「変人」と言い換えたほうが、いいかもしれない。

2008年9月19日金曜日

野村喜和夫賛 改

 野村喜和夫は,なぜ誤解されるのか.

 それは,彼が,あまりにも正直に,実験詩を書くからではないだろうか.

 その,あまりのあっけなさに,読者がついて行けないからではないか.

 詩という表現行為が,まず文学のなかでマイナーであるのに加えて,実験詩という,更に書き手が少ないジャンルをホーム・グラウンドとするから,読者(=詩の実作者)は,どう対応すればよいのか,途方に暮れてしまうのだろう.

 私でさえ,詩壇の外では,「現代詩人」と呼ばれている.野村さんの詩が誤解されるのも,無理からぬことではないだろうか.

 要は,読者のレヴェルが,低すぎるのである(詩を読むコードを,まったく持ち合わせていないのではないか? と,時々暗澹たる気持ちになる).

朗読会

 昨日のこと.

 午後4時少し前,岩切正一郎さんからメイルが届いた.朗読会のお誘いだった.

 16:45 で帰宅する,との休暇簿を職場に出し,会場の広尾に向かう.

 会場は,とてもちいさな画廊.天童大人さんの,「詩人の声」シリーズだった.

 お客さんは岩切さんの教え子ばかり.とてもアンチームな雰囲気のなか,朗読は静かに進んだ.

 驚いたのは,1時間の朗読で,岩切さんが一度も噛まなかったこと.ご自分でお書きになったものを読むのだから当然かも知れないが,さすがはプロである.

 参加費を払い,テクストを購入したら,帰りの電車賃さえなくなってしまった.不躾ながら,岩切さんから2千円もお借りしてしまった.みっともない.

 教訓:これからは,せめて1万円は,いつも財布のなかに入れておくようにしよう.

2008年9月18日木曜日

菩薩

『環境知能』があまりに硬派だったので,『ウェブは菩薩である』( NTT 出版)に切り替えた.こちらも IT 系の本なのだが,敬体で書かれており,親しみやすい(と言うより,『環境知能』は気合いが入りすぎていて,読む側もそれなりの覚悟を必要とするのである.).

 ウェブが菩薩? この比喩はいったい何なのか,私にもまだ分からない.分かっているのは,この本が「メタデータ」を扱っている,と言うことである.これなら私にも分かる.読めそうな内容なので,しばらくはこの本(と『水声通信』と)を,読むことにする.

 それから,先日,食べ物を買うために売った本の買い戻しをしなければならない.いずれも専門書なので,5,000円する本などもあったりする.苦しい.

 教訓:次に買うときも,帯があるとは限らない.l

野村喜和夫賛

『環境知能のすすめ』(リミックスポイント)を読み始める.

 真面目にITのことを書いた本のようである.が,あまりにも真面目すぎて,私のようなものは集中力が持たない.節目節目で休みながら読む.

 最近はやらないが,以前は何冊もの本を並行して読む,と言ったことをよくやった.

 そのことの名残で,今回は『水声通信』の,野村喜和夫さんの特集号を,合間合間に読む.山内功一郎氏と野村さんとの対談では,山内氏が生真面目に論を展開するのとは反対に,野村さんがのらりくらりと呆けてみせるのが楽しい.(呆けてみせながら,野村さんは要所要所で大事なことを語っているので,読み落としてはいけない.)

 今,詩の読者層(=詩壇)は,野村喜和夫さんを正しく評価しているのだろうか? 私には,詩壇が,野村さんを正確には読めていない気がしてならない.実験詩の実践者として,もっと評価されてもいいのではなかろうか? 野村喜和夫は,今でも純粋な文学少年なのである.

「環境知能」の話が,野村喜和夫さんの話になってしまった.ので,この話はこれでおしまい.

気狂い

 3:00起床。

 4:00、駅前のインターネット・カフェへ。ブースのなかで新聞を広げて読んでいると、エグゼクティブにでもなったかのような錯覚が訪れる。現在の所持金は1,441円也。とんだエグゼクティブである。

『ウィキペディアで何が起こっているのか』(オーム社)読了。ある程度ウィキペディアやインターネットの知識がある人は、読んでみると面白いかもしれない。「ウィキペディアって何?」というひとには、ちんぷんかんぷんの可能性あり。

 先日、弟と会った折、「いつまでも調子に乗って好き勝手ばかりしているんじゃない」と説教される。そのようなことを言われても、フーテン(気狂い)なのだから、仕方がない。結婚して子供を作り、家なりマンションなりを買って、一生をローンに追われて過ごすようになれば、許してもらえるのだろうか? 「俺がこんなに苦労しているのだから、お前も不幸になれ」的説教?

 今朝、こうして体調もよく、頭も冴えているのは、自分の部屋で眠ったからだろうか。あの部屋が、私の天国なのかもしれない。このブースは、(非常に便利なのだけれど、)私の天国ではない。なによりも、あの部屋にはぺたるがいる。

2008年9月17日水曜日

危機

 かかりつけのドクターが、また体調を崩された。

 クリニックの方の話だと、2~3ヶ月休診となる由。

 クリニックの共同創設者の一人であり、私にとって名医中の名医だけに、なんとかまた元気になって頂きたい。

 ほんとうに、とても優れたドクターなのだ。2~3ヶ月待って現役に復帰なさるのであれば、私は待つ。どうか、どうか、時間がかかっても構わないので、完全に健康を取り戻して欲しい。

 教訓:名医は最高の印象を残して去る。

本の蒐集

 私にとって、本は「物」ではない。

 私にとって、本は「物」ではなく、「貴重な何か」なのである。

 文学に限らず、オライリー等のコンピュータ関係の書籍も、「貴重な何か」に含まれる。

 この夏、私の部屋でごきぶりが大発生し、ほとんどの本が、彼らの排泄物で汚されてしまった。

 私が持っている一番たいせつな本、「コレクション瀧口修造」全巻は、開梱していなかったので、難を逃れた。

 教訓:本をだめにしない唯一の方法は、包みを解かないことである。

またもやVIP席で

 23:00 就寝。
 03:00 起床。

 4時間も、眠ることが出来た。

 相変わらずVIP席である。

 VIP席で眠るのは、初めての経験。なかなかよい。

 所持金は、2,716円。金曜日まで、持ちそうだ。

 『 tab 』、あと6片のストックがある。何もしなくとも、1年は原稿を落とすことはない。

 いいことずくめではないか。

 貯金はないのだけれど、詩のストックが1年分あるということが、精神衛生上、たいへんによい。

 フィンランドの作曲家、ヤン・シベリウスは、若い頃に旺盛な作曲活動を行い、その後は新しい作品を発表することもなく、年金で何不自由なく暮らしたとか。

 私もあと10年勤めれば、年金がもらえるらしい(ただし、50歳から65歳まで、何らかの形で稼がないといけない)。それまでに、1冊は詩集を出したいところ。おそらくは、" Stock Book " が、これまでの詩作活動の集大成となる予定である。

 喜和夫さんの仰るとおり、この第3詩集に、心の髄まで注力しよう。

2008年9月16日火曜日

2台のコンピュータ

 現在,2台の Mac を所有している.

 1台は,Intel CPU を初めて搭載した,記念すべき機種である iMac 1.83 GHz/4GB/500GB ).

 もう1台は,突然衝動買いしてしまった MacBook Pro Late 2007 ).

 2月に申し込んだ B フレッツを,未だに ADSL モア II 24 から切り替えていないので,私の部屋では,Mac がネットワークに繋がらない.

 また,部屋が夢の島状態であるため,iMac の前に座って作業することは,ほとんど不可能に近い.そのため,衝動買いした MacBook Pro が,思いもかけず大活躍することとなった.

 これまで,私は,ノート型のコンピュータに対して,あまり肯定的な見方をしてこなかった.バッテリに寿命がある,拡張性に乏しい・・・等々.ところが,MacBook Pro を実際に使ってみて,それらが全て,私の偏見だと言うことが分かった.

 コンピュータを屋外に持ち出せるメリットには,計り知れないものがある.現在,私は,ある著名な方の HP の,管理・運用を任されている.この作業に,ノート型コンピュータが,たいへんな威力を発揮するのである.

 HP メンテナンスの作業を,私はインターネット・カフェで行うのだが,ここに MacBook Pro を持ち込めるのはおおきい.ネットカフェの端末はすべて XP マシンである.そこで,使い慣れた(と同時にアプリケーションも豊富な)Mac の環境が使えるのだから,文句のあろうはずもない.

 いいことずくめの観があるが,問題もある.

 最近の潮流として,アプリケーションは,1 CPU 1ライセンスとなりつつある.つまり,例えば MS Office を購入しても,MacBook Pro にインストールしたら,それでおしまい.iMac には,インストールできないのである.

 私としては,今や MacBook Pro がメインのマシンとなっているので,全てのアプリケーションを,MacBook Pro にインストールしている.

 iMac の現在の下取り価格は4万円である.40万円で購入したものを4万円で手放すには忍びないので,Windows マシンとして使用することを考えている.Linux を入れてもいい.いずれにしても,前途は洋々なのである.

激貧

 2:00に目が醒める.

 出勤時刻の5:00まで,なにか有意義なことをしようと考えるが,なにも出来ない.

 本来ならば眠っている時間だからなのか,本を開いても情報が頭のなかに入ってこない.

 結局,この3時間の間,有意義に過ごしたのはぺたるのみだった.
 彼女は,あぐらをかいた僕の股間で丸くなってみたり,朝のまんまを食べてみたり,僕の寝床(幾層にも積まれた新聞紙の山)でおしっこをしてみたりと,実に有意義な時間を過ごしていた.

 お金があれば,駅前のネットカフェで過ごせたのだけれど,所持金14円では,身動きの取りようがない.

 ようやく5:00になって,電車の中で本(「ウィキペディアで何が起こっているのか」)を読む.

 6時前,立川着.何が何でもドーナツとカフェオレでひとときを過ごしたい.しかしお金は14円.そこで急に閃いた! 確かポイントが600以上貯まっていたはず! 案の定,300ポイントで,朝の恵みのひとときを,過ごせたのだった.

2008年9月15日月曜日

散々

 よく歩いた。

 4:30に目が醒めたにもかかわらず、図書館開館の9:00まで何も出来ず。
 ぺたるだけがにゃあにゃあと元気で、まんまのおかわりをねだるがあげない。

 9:00、中央図書館へ。30分ほど、持参の本を読む。

 11:00、新宿のソフマップ買取センタへ。「これは売れるだろう」と思っていたメモリーカードが、「もう取り扱いできません」と呆気なく断られる。

 売るのを本に切り替え、自分の部屋から、蜂飼耳の散文2冊と、白水社のロートレアモン全集全1巻を、代々木駅前のブックオフへ持ち込む。100円也。さっそくマクドナルドへ転がり込み、ハンバーガーを食す。この時点で、所持金が7円になる。

 続いて、イヴ・ボヌフォア監修の「世界神話大事典」と、タッシェンから出ている「ダリ全画集」を持ち込むも、「汚れている」と門前払い。「コンテンツを売るの愚」を避けるため、エヴァンゲリオンプレミアDVDを笑いながらリストからはずす。

 Mac OS X Server 10.5 の解説書(売りたくなかった)と Google の本、及び暮らしのハウツー本を持ち込む。470円也。このお金のおかげで、ネットカフェのVIPルームへ。コカコーラを立て続けにコップ3杯飲み干す。しかし、所持金7円とは、とんだVIPである。弟は豊島園に家を建て、兄は470円のために奔走する。

 教訓。買い戻せる確信のないものは、どれほど高い値が付こうとも、絶対に手放してはならない。

2008年9月14日日曜日

ふたたびVIP席にて

 礼拝の後、敬老祝福会。

 先日来湧き起こっている妙な行動力のおかげで、渋谷のアップルストアへ。

 2月以来 OS のアップデートを行っていない旨を告げると、「店内のどこでもいいので、無料の無線 LAN に繋いですきなようにしてよい」と言われる。

 半年もアップデートしないと、さすがにかなりの量の更新がたまっている。30分かけて、私の Mac は最新となる。

 このことで、また新たな行動力が湧いてくる。連鎖か。

VIP

 記憶をたどってみた。

 昨年の7月ごろから、インターネット・カフェに通い始めたようだ。

 それから1年、店の一番奥に、VIP席があるのを昨日知った。

 なぜ今まで気付かなかったのだろう。l
 また、なぜ他のお客さんはVIP席に殺到せず、狭いブースで我慢しているのだろう。

 インターネット・カフェが、ますます私の書斎と化していく。

2008年9月13日土曜日

いつ?

 去年の今頃は、インターネット・カフェのことは知らなかった。

 インターネット・カフェのことを知ったのは、何時ごろだっただろう。

 インターネット・カフェを知って、私の生活は変わった。

謝礼

 図書館へ、本を取りに行く。

 4冊のうち、3冊が中央図書館の本だった。

 しかし、よく買ってくれるものである。

 感謝します。

2008年9月12日金曜日

礼賛

 このところの,朝夕の涼しいこと.

 今年も,私は夏を乗り切ることが出来たのか?
 あの忌わしい夏は,既に私から去ったのか?

 もう,夏の暑さに苛まれることがなくなったのなら,

 ああ,新しい空!

2008年9月11日木曜日

回想

 結局,結婚しなかった.

 芥川より,長生きした.

 今は,バカボンのパパと同い年.

(ちなみに,バカボンは「バガボンド」から来ていると思うがどうか.)

教訓

 見失ったメイルに限って,重要なことが書かれている.

 くだらない(私的な)メイルを書いているときに限って,誰かに読まれてしまう.

カフェにて

 この,人ひとりがやっと収まるだけのちいさなブース.

 そこで,背をかがめ,液晶モニタを見つめながら,キーボードを打ち続ける.

 こんなにちいさな,私だけの思考の空間.

2008年9月10日水曜日

生活

 このところ,私の生活が,引き締まってきた気がする.

 充実感,とでも言うのだろうか.

 様々な事柄が,すべて自分の思い通りになっていくような.

教訓 補

 それから,詩人と名乗るひとの.

教訓

 Poet is born, not made.

 元はドイツ語の,リルケの言葉だと,高校時代に恩師から教わった.

 それなのに,詩人と呼ばれたいひとの,なんと多いことか.

今日の教訓

 ものを創るには,全体を見る目と,細部を調整する器用な指先とが必要である.

 どちらも備えているひとは,意外と少ない.

2008年9月9日火曜日

 最近になってようやく,箱を使って考えたり,ものをつくったり出来るようになって来た.

 箱そのものについていくら詳しくとも,何の意味もない.

 これまでの20年間は,いったい何だったのだろう.

2008年9月8日月曜日

今日の教訓

詩集を探して,図書館に電話をかけた.

 しばらくやりとりがあった後,図書館の方から,「野村様ですか?」といきなり聞かれた.

 1ヶ月に5冊も6冊も,詩集ばかりリクエストしていると,こういうことになります.

朝,インターネットカフェで

 3:53,駅前のインターネットカフェに入る.

 アルバイトのお兄さんに,「50円であと何分いられますか?」と尋ねる.

 私の全財産は,あと50円.

2008年9月7日日曜日

今日の教訓

 牧師さんのお説教は眠い.

 眠りかけている一瞬に,その日いちばん大切なことが語られている.

今日の教訓

 毎日,少しずつでも積み上げていく.気が付くと,ひと飛びではたどり着けないほどの高みに,自分がいるのを発見する.

2008年9月6日土曜日

秋葉原

僕には,一番いごこちがいい街.

僕が,今の姿のままで,いてもいい街.

オタクの聖地.

2008年9月5日金曜日

Google Chrome

GoogleがWebブラウザを作った.ついにMSは破れるのか?

今日の教訓

 詩壇の常識は,社会の非常識.という,社会の常識.

2008年9月4日木曜日

今日の教訓

 少しも犠牲をはらわずに,おいしいところだけ全部いただこう,とは行かない訳だ.なるほど,そんなものかも知れない.そのかわり,犠牲をはらったときには,得るものがある.よくできているね.納得の,今日一日でした.