2008年9月25日木曜日

読書

 このところ,やたらに本を読んでいる.主に,文化系向けの,ICT 概説エッセイのようなものである.

 今はちょうど,Google について書かれたものに,取り組んでいる.

 上記のような本であれば,いくらでも頭に入ってくる.私は,職場では,文系SEの出来損ないのようなことをしているのであるが,そういった本を日頃から読んでいると,役立つことも多い(仕事に役立てよう,等と,不純な動機で読んでいるのでは決してない.面白い,から読んでいる.それだけである.).

 私の場合,「詩の頭」を守るには,コンピュータやICTの概説などを読むに限る.小説はいけない.散文を読むと,「詩の頭」は,途端に狂ってくる.「詩のための言葉」が,散文に汚染されるのである.

 少々大げさかも知れないが,事実なのだから仕方がない.電車の中などで,小説らしきものを読んでいるひとをよく見かけるが,「よく散文が読めるものだ」と,感心することしきりである(その逆に,皆が通勤の途中で詩など読んでいたら,そちらの方が不気味かも知れないが.).

 詩集はよく読む.「詩の頭」なので,優れた詩集は,頭の糧になる.今,財部鳥子さんの『胡桃を割る人』を読んでいるが,啓発されること大である.

 詩と小説とは,言葉という,同じ材料を用いて作られているが,全くの別物である.小説を読むノリで詩に取り組むと,必ずひどい目に遭う.詩は比喩であり,小説は説明であるからである.

 とは言うものの,やはり詩がいつまでもマイノリティであるのも寂しい.詩が,広く人口に膾炙するものとなって欲しいのであるが,今のまま,「詩を読む人=詩を書く人」として,詩壇にひっそりと隠れ住んでいるのがいいのかも知れない.

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