2010年3月7日日曜日

文学か? 社会か?

私は要領が悪いなぁ,と,自分でも思います.

今,私にとっての,一番の問題は,1日のうちに,新聞を読むか,それとも,興味のある雑誌や本を読むか,と言う,二者択一なのです.

冒頭にも書きましたが,私は要領が悪く,頭もそれほど良くないので,他の方が普通になさっておられるように,1日のうちに,新聞にすべて目を通し,その上で読書までする,と言うことが出来ません.新聞を選ぶと読書が出来ず,読書を選ぶと新聞が読めない.

以前お話した,ネットカフェでの心神喪失状態の影響で,以来新聞はまったく読めなくなりました.

また,おクスリいっぱい状態の私には,睡眠時間を削る,という芸当が出来ません.夜は21:00には床に就かないと,翌日,出勤時間に起きることが出来なくなるのです.まるで心太のように,夜遅く寝れば寝るほど,それに正比例して,翌朝の目覚めが遅くなってしまうのです(先週は,2日続けて,13:30に「出勤」しました).

加えて,パソコンお宅の私は,常に雑誌などで情報を得ていないと,たちまち浦島太郎になってしまいます.現在,既に,「コア i7 ってなに?」と言う状態になっています.まあ,所詮は素人なので,それはそれでもいいのですが...

しかし,ことが文学に及ぶと,話は一変します.「ウイリアム・バトラー・イェイツって誰?」と言う状態は,私にとって,死を意味するのです.本厄をどうにか乗り切った今日この頃,「定年退職したらゆっくり読もう」が実現しないかもしれない,と言うことが,薄々わかり始めて来ました.私の師,野村喜和夫の言葉を借りれば,私にも,いつ「死の光」が当たってポックリ逝くか,わからない状態に突入しつつあります.そのとき,どれだけ充実した文学生活を送ってきたか,が恐らく問われることでしょう.その時点で,私は後悔したくないのです.

それにしても,私は今まで,勉強をあまりにもサボり続けてきました.しかしまあ,正直なことを言ってしまえば,今現在,自分で100%納得のいくものが書けているので,他の方が書かれた詩を,他の方より多く読まずとも,何ら問題はないのです.これが極論です.

それでも,良質の肥やしを撒かなければ,畑は痩せて来ますから,やはり勉強は必要です.しかし,私は,私にとって興味のないことまで「お勉強」と称して読みたくはない.最低限の,私と波長の合う方の書かれたものだけを読みたい.幸いにして,私は一介のディレッタントに過ぎませんから,ピンからキリまで,あらゆる方の詩を読む必要はないのです.文学を職業にしなくて良かった.ありがたいありがたい…….

(今回は,強引に落ちに持ち込んでしまいました.読んでくださった方,申し訳ありません.)

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