眠りの浅さを訴えたところ,アモバン(10mg)が出た.
いきなり max か...
アモバンと言うと,ほぼありとあらゆるところで,その「苦さ」について触れられている.
処方されて,まだ1度しか服用していないので,「苦さ」がどれほどのものなのか,体感していないが,誰もが「苦い」と言うのだから,余程苦いのだろう.
その苦さを体感すべく,クスリ一式を携えてネットカフェへ乗り込んだのはいいものの,いつの間にやら昏倒してしまい,気が付くと夜が白々と明け始めていた...(「昏倒眠」ことコントミンを飲む間もなかった.今日は休日だから,今から飲んでも差し支えないだろう.最近は耐性が付いたのか,睡眠導入剤としての役割はほとんど果たさなくなったコントミンであるが,その本来の機能である,*メジャー*トランキライザーの強力な効用はまだ十分に持っているので,これを飲んでおくと,日中,不安に襲われることはほとんど無くなったと言ってよいのである.)
今,前回の「完徹する」をちらりと眺めたが,我ながらよくもまああのように長々と書いたものだ(いつも読んでくださる皆さん,ほんとうに長文ですみません).少し,読みやすくするための工夫をした方がいいのかも知れない.
(早くもコントミンが効き出したのか,視野の狭窄が起こり始めた.返す返すも,凄いクスリだ...)
さて,ふと思ったのであるが,詩を書く道を選んだことと,こころのクスリを飲み続ける道を選んだこととを,いつかは総括しなければならない.これは,一朝一夕にして出来ることではないので,今はただ問題提起をして,心の壁に,この課題を引っ掛けておこうと考える次第である.(更に私には,(師野村喜和夫にも既に指摘されたことではあるが(ここで野村喜和夫に「師」を冠することについても諸論あろうがそれはまたいずれ)(こう括弧ばかりが続くとまるでプログラミングのようである.読みづらいことこの上ないと思う.所詮読みやすい散文を書く才能が無いのだ),)自分の罪の贖い主としてキリスト・イエスを受け容れたことと詩を書くこととについて,総括しなければならないという大問題が控えている.これは,そのようなことを生きているうちに出来るのかどうか,全く定かではないほどの「超」難題である.が,「詩的に」これをすることは可能なのではないか,と,唯一の光らしきものは見えて来ている,気がする(師(諸論あろうが)もそのように指摘している).
ここまで書いて,アタマのヒューズが飛んだ.続きはまたいずれ.
2009年4月29日水曜日
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